2024年5月

4月

5月1日(水)

今日も雨。


三条高倉の京都文化博物館で、「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観る。王城の西の護りを担った松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)が所蔵する史料や絵図、木像などを集めた展覧会。

松尾山山上の磐座を祀ったのが始まりとされる松尾大社。祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、「古事記」にも登場する古い神で、近江国の日吉大社にも祀られている。別名は「山王」。大山咋神は素戔嗚尊の孫とされる。松尾山山麓に社殿が造営されたのは701年(大宝元)で、飛鳥時代のことである。ちなみに、松尾大社の「松尾」は「まつのお」が古来からの正式な読み方であるが、「まつおたいしゃ」も慣例的に使われており、最寄り駅の阪急松尾大社駅は「まつおたいしゃ」を採用している。
社名も変化しており、最初は松尾社、その後に松尾神社に社名変更。松尾大社となるのは戦後になってからである。

神の系統を記した「神祇譜伝図記」がまず展示されているが、これは松尾大社と神道系の大学である三重県伊勢市の皇學館大学にしか伝わっていないものだという。


松尾大社があるのは、四条通の西の外れ。かつて葛野郡と呼ばれた場所である。渡来系の秦氏が治める土地で、松尾大社も秦氏の氏神であり、神官も代々秦氏が務めている。神官の秦氏の通字は「相」。秦氏は後に東家と南家に分かれるようになり、諍いなども起こったようである。
対して愛宕郡を治めたのが鴨氏で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂神社は鴨氏の神社である。両社には深い関係があるようで共に葵を社紋とし、賀茂神社は「東の厳神」、松尾大社は「西の猛神」と並び称され、王城の守護とされた。

秦氏は醸造技術に長けていたようで、松尾大社は酒の神とされ、全国の酒造会社から信仰を集めていて、神輿庫には普段は酒樽が集められている。今回の展覧会の音声ガイドも、上京区の佐々木酒造の息子である俳優の佐々木蔵之介が務めている(使わなかったけど)。

「名所絵巻」や「洛外図屏風」、「洛中洛外図」屏風が展示され、松尾大社も描かれているが、都の西の外れということもあって描写は比較的地味である。「洛中洛外図」屏風ではむしろ天守があった時代の二条城や方広寺大仏殿の方がずっと目立っている。建物のスケールが違うので仕方ないことではあるが。

松尾大社が酒の神として広く知られるようになったのは、狂言「福の神」に酒の場が出てくるようになってからのようで、福の神の面も展示されている。松尾大社の所蔵だが、面自体は比較的新しく昭和51年に打たれたもののようだ。

松尾大社で刃傷沙汰があったらしく、以後、神官による刃傷沙汰を禁ずる命令書が出されている。当時は神仏習合の時代なので、刃傷沙汰は「仏縁を絶つ」行為だと記されている。松尾大社の境内には以前は比較的大きな神宮寺や三重塔があったことが図で分かるが、現在は神宮寺も三重塔も消滅している。

PlayStationのコントローラーのようなものを使って、山上の磐座や松風苑という庭園をバーチャル移動出来るコーナーもある。

徳川家康から徳川家茂まで、14人中12人の将軍が松尾大社の税金免除と国家の安全を守るよう命じた朱印状が並んでいる。流石に慶喜はこういったものを出す余裕はなかったであろう。家康から秀忠、家光、館林出身の綱吉までは同じような重厚な筆致で、徳川将軍家が範とした書体が分かるが、8代吉宗から字体が一気にシャープなものに変わる。紀伊徳川家出身の吉宗。江戸から遠く離れた場所の出身だけに、書道の流派も違ったのであろう。以降、紀州系の将軍が続くが、みな吉宗に似た字を書いている。知的に障害があったのではないかとされる13代家定も書体は立派である。
豊臣秀吉も徳川将軍家と同じ内容の朱印状を出しており、織田信長も徳川や豊臣とは違った内容であるが、松尾大社に宛てた朱印状を出している。
細川藤孝(のちの号・幽斎)が年貢を安堵した書状も展示されている。

松尾大社は摂津国山本(今の兵庫県宝塚市)など遠く離れた場所にも所領を持っていた。伯耆国河村郡東郷(現在の鳥取県湯梨浜町。合併前には日本のハワイこと羽合町〈はわいちょう〉があったことで有名である)の荘園が一番大きかったようだ。東郷庄の図は現在は個人所蔵となっているもので、展示されていたのは東京大学史料編纂所が持っている写本である。描かれた土地全てが松尾大社のものなのかは分からないが、広大な土地を所有していたことが分かり、往事の神社の勢力が垣間見える。

その他に、社殿が傾きそうなので援助を頼むとの書状があったり、苔寺として知られる西芳寺との間にトラブルがあったことを訴えたりと、窮状を告げる文も存在している。

映像展示のスペースでは、松尾祭の様子が20分以上に渡って映されている。神輿が桂川を小船に乗せられて渡り、西大路七条の御旅所を経て、西寺跡まで行く様子が描かれる。実は西寺跡まで行くことには重要な意味合いが隠されているようで、松尾大社は御霊会を行わないが、実は御霊会の発祥の地が今はなき西寺で、往事は松尾大社も御霊会を行っていたのではないかという根拠になっているようだ。

室町時代に造られた松尾大社の社殿は重要文化財に指定されているが(松尾大社クラスでも重要文化財にしかならないというのが基準の厳しさを示している)、その他に木像が3体、重要文化財に指定されている。いずれも平安時代に作られたもので、女神像、男神像(老年)、男神像(壮年)である。仏像を見る機会は多いが、神像を見ることは滅多にないので貴重である。いずれも当時の公家の格好に似せたものだと思われる。老年の男神は厳しい表情だが、壮年の男神像は穏やかな表情をしている。時代を考えれば保存状態は良さそうである。

神仏習合の時代ということで、松尾社一切経の展示もある。平安時代のもので重要文化財指定である。往事は神官も仏道に励んでいたことがこれで分かる。松尾社一切経は、1993年に日蓮宗の大学で史学科が有名な立正大学の調査によって上京区にある本門法華宗(日蓮宗系)の妙蓮寺で大量に発見されているが、調査が進んで幕末に移されたことが分かった。移したのは妙蓮寺の檀家の男で、姓名も判明しているという。

松尾大社は、摂社に月読神社を持つことで知られている。月読神は、天照大神、素戔嗚尊と共に生まれてきた姉弟神であるが、性別不詳で、生まれたことが分かるだけで特に何もしない神様である。だが、松尾大社の月読神はそれとは性格が異なり、壱岐島の月読神社からの勧請説や朝鮮系の神説があり、桂、桂川や葛野など「月」に掛かる地名と関連があるのではないかと見られている。

5月2日(木)

今日は晴れて暑い。

久しぶりに河原町三条下ルの京都BAL地下にある丸善京都本店を訪れる。以前は丸善京都店は河原町通蛸薬師にあったのだが(跡にはカラオケ店が入っている)、一度、丸善は京都撤退。京都の中心部にはジュンク堂が数店並んだのだが、今度はジュンク堂が京都撤退。京都市中心部に最も多く店舗を構えているのは大垣書店となった。ただ京都BALが新しくなると同時に京都に帰ってきた丸善が、書籍の品揃えでは一番である。今日も大垣書店京都本店では買えなかった書籍と雑誌を購入した。



BSテレ東「あの本、読みました?」。鈴木保奈美がナビゲーターを務める書籍紹介番組である。今回は『東京都同情塔』で芥川賞を受賞した九段理江(アルファベット表記は、Qudan Rieである)が登場。鈴木保奈美やテレビ東京アナウンサーの角谷暁子と対談を行う。生成AIを文章中に使ったことで話題になったが、生成AIはデータを多く使うことで文章が平均化されていくそうだ。
三島由紀夫の大ファンで、「三島由紀夫の生まれ変わり」を名乗りたかったのだが、平野啓一郎が先に「三島由紀夫の再来」と言われてしまったために、名乗れないのが悔しいそうである。九段はペンネームで、東京の九段下に住んでいたことがあったり、井上陽水のアルバム「九段」が好きなこと。また、「三島由紀夫の生まれ変わり」が名乗れないのならせめて名前に数字を入れようというので九段になったそうだ。
角谷暁子が三島の大ファンだったり、鈴木も九段も先頃亡くなったポール・オースターが大好きだったりと共通点が多いことも分かった。



大映映画「舞台は廻る」を観る。1948年の作品。久生十蘭(ひさお・じゅうらん)の小説『月光の曲』が原作。脚本:八木沢武孝、監督:田中重雄。出演:三條美紀、若原雅夫、笠置シヅ子、齋藤達雄、潮万太郎、美奈川麗子、牧美沙、有馬脩ほか。演奏:淡谷のり子と大山秀雄楽団、クラックスタースヰング楽団(トランペットソロ:益田義一)。ダンス:SKDダンシングチーム。作曲:服部良一。
笠置シヅ子は歌手役で出演。「ヘイヘイ・ブギウギ(ヘイヘイブギー)」が主題歌になっているほか、「ラッパと娘」、「恋の峠路」、「還らぬ昔」など全4曲を歌っている。「ヘイヘイブギー」のリリースは1948年4月で「舞台は廻る」の封切りも同じ48年4月。ということで、やはりプロモーションを兼ねているようだ。「ヘイヘイブギー」は笠置シヅ子による本編の歌唱の後も女声コーラスなどによって歌い継がれ、延々と続く。

佐伯正人(齋藤達雄)と笠間夏子(笠置シヅ子)は元夫婦。離婚して、一人息子で8歳になる孝(有馬脩)は、佐伯が引き取ったが、夏子も孝を取り戻したいと考えている。
街頭で、佐伯と恋愛論を闘わせた雨宮節子(三條美紀)は、丹羽稔(若原雅夫)と婚約中で新居を探している。笠間夏子が出演するステージを観に来た節子は、横に座った孝が気になる。
箱根に住む節子。両親と兄と暮らしている。ある日、隣家からピアノの音が聞こえる。その家の主は、恋愛論を闘わせた相手、佐伯であった。佐伯は作曲家。笠間夏子のヒット曲は全て佐伯が作曲したものだった。

節子と孝の劇場での出会いのシーンで、笠置シヅ子演じる笠間夏子の「ラッパと娘」に続いて、淡谷のり子が大山秀雄楽団を従えて歌うシーンがある。

夏子と離婚してヒット曲が書けなくなる佐伯であるが、それから約10年後に笠置シヅ子を失うことで大ヒットに恵まれなくなった服部良一の未来を暗示しているようでもある。
箱根の家で友人を呼んで馬鹿騒ぎする佐伯。女の友人が「ラッパと娘」を歌って佐伯が怒るシーンがある。

夏子の楽屋をこっそり訪れた節子は、夏子と対面。孝について語り合う。
大阪弁の印象が強い笠置であるが、この映画では全て標準語で通している。
笠置シヅ子が歌うシーンが多く、ほとんど笠置シヅ子の歌を楽しむために作られたような映画である。

ヒロインの三條美紀は京都市の出身で、一応二世タレントということになるようだが、商業高校を出て大映の経理課にいたところ、社内上層部の目にとまり、演技課の女優へと転身したという変わり種で、その後長く活躍した。

若原雅夫は、新興キネマの俳優としてデビューし、大映を経て松竹に移って活躍するが、松竹を退社してフリーになった後はテレビに主舞台を移す。その後、病を得て引退している。現在の消息は不明。生きていれば100歳を優に超えている。

齋藤達雄は、若い頃にシンガポールで過ごしたという変わった人で、小津安二郎の映画の常連となり、1968年に65歳で死去している。

バイプレーヤーとして150本以上の映画に出演したという潮万太郎。91歳と長寿であった。

5月3日(金) 憲法記念日

東京ヤクルトスワローズは本拠地・神宮球場で、中日ドラゴンズとのデーゲーム。
スワローズの先発は、コンディション不良で出遅れたものの、前回の今季初初登板で勝利投手となった小川泰弘。ドラゴンズの先発はメヒア。

初回から試合は動き、サンタナのタイムリーツーベースで1点を先制。2回にはフォアボールで出たこの回先頭の長岡を三塁に置いて、西川遥輝がセンターへの犠牲フライを放つ。

3回には、4番の村上が、反対方向の左中間スタンドに放り込むソロホームラン。これが村上の神宮球場における100本目の本塁打となった。史上最年少での100号到達である。

小川はヒットを打たれつつも粘りのピッチング。毎年フォームをマイナーチェンジしている小川だが、今年は昨年よりも低く沈み込んで投げているように見える。
6回を0点に抑えた小川だが、7回に先頭打者から3連続ヒットを浴びてノーアウト満塁。ここでマウンドをエスパーダに譲る。エスパーダは村松にライト前にヒットを許すが、当たりが良すぎたために、ランナーは1人しか帰れず。続く木下の当たりはショート前でダブルプレーとなり、この間に1人帰るが、リードを保ったままこの回あと1アウトとなる。
大島洋平の当たりはライトのファウルゾーンへ。これをライトの丸山和郁がジャンプしてキャッチ。その後にフェンスに激突するがボールは手放さず、小川の勝利の権利は維持されたままチェンジとなった。
だが、8回表に木澤が中田翔にレフトポール際へのソロ本塁打を許し、3-3の同点。小川の勝利投手の権利も消えた。

同点のままの9回表、ヤクルトは石山泰稚をマウンドに送る。ベテランとなった石山。流石に常時150キロを誇った若い頃ほどの球威はなく、二死二塁のピンチを迎えるが、カリステをセンターフライに打ち取り、マウンドを降りる。これで石山は通算500試合登板となり、表彰された。中継ぎ、セットアッパー、クローザー、たまに先発とフルに活躍し、同期入団の小川泰弘と共にヤクルト投手陣を支え続けている。大きな故障がないのも特徴である。抑え時代はその堅牢さを誇るピッチングから「石山本願寺」と呼ばれたが、石山自身は日本史が苦手で、石山本願寺が何なのか分からないそうである。

9回を終えて、3-3。延長戦に入る。ヤクルトは石山に代えて大西をマウンドに送る。一方のドラゴンズの投手は松山。11回裏、ワンナウトから中日はピッチャーを勝野に代える。勝野は中村悠平にヒットを許し、迎えるは塩見泰隆。
塩見の当たりはバックスクリーン左端に飛び込むサヨナラ本塁打となり、東京ヤクルトスワローズが5-3で接戦を制した。ジャイアンツを3タテしたスワローズはこれで4連勝となる。

5月4日(土) みどりの日

晴れて気温も高め。


昨日はデーゲームだった、東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズの神宮球場での戦い。土日は神宮球場の優先使用権を持つ東京六大学野球の試合がデーゲームであるので、今日からはナイトゲームに変わる。

スワローズの先発は開幕投手を務めながら今シーズンここまで未勝利のサイスニード。ドラゴンズの先発は東京六大学の一つである明治大学出身の柳裕也。

中日が2回に先制。岡林、木下の連打の後、ピッチャーの柳が倒れてから先頭に戻って大島洋平の当たりがサードの裏に落ち、ツーベースヒットとなって1点を先制。続く村松も2点タイムリーヒットを放って、計3点を奪う。

スワローズはその裏、山田哲人のヒットに始まり、打者9人を送り込む猛攻で4点を奪って逆転。柳は村上を迎えたところで2回途中KOとなった。

ヤクルトには4回にも丸山和郁(まるやま・かずや)のライトフェンス直撃の二塁打にサンタナのタイムリーで1点を加える。サイスニードは5回を3失点に纏め、勝利投手の権利を手にしたままマウンドを降りる。

ヤクルトは6回裏にも村上の2点本塁打で、7-3と突き放す。

サイスニードの後を受けた星が6回を抑え、そのままイニングまたぎで7回のマウンドにも立つが、二死二三塁のピンチを招き、細川に2点タイムリーツーベースを許してここで降板。迎えた中田翔は丸山翔大(まるやま・しょうた)が三振に打ち取って追加点を許さなかった。

9回表のマウンドは木澤に託されるが、木澤も2年ほど登板過多の状態が続いており、球威は落ち気味。細川にタイムリーツーベース、中田翔に犠飛を許し、同点に追いつかれ、延長戦に入る。サイスニードの今季初勝利も消えた。

スワローズは、延長11回に「燕のハセヒロ」こと左腕の長谷川宙輝(はせがわ・ひろき)をマウンドに送る。血行障害となり手術を受けて、でここ3年ほど満足に投げられなかったが、先日、久しぶりの勝利を挙げている。ショートアームから投げる速球派で以前に比べると球威は落ちたように見えるが、1回を0点に抑える。

中日は抑えのマルティネスとつぎ込むなど必勝態勢に出るが、両チームとも決定打を欠き、5時間を超える熱戦の末、7-7の引き分けで試合は終わった。

5月5日(日) こどもの日

今日も晴れて気温はかなり高い。

JR京都駅で、湖西線の列車から不審物が発見され、1時間半に渡って全ての運休がストップする事件があった。不審物からは危険なものは見つからず、運転は再開された。


唐十郎が死去。84歳。東京の下町生まれ。本名は大靏義英(おおつる・よしひで)。高校は千葉県の私立進学校、東邦大学付属東邦高校に進み、大学は明治大学文学部文学科演劇学専攻を選ぶ。明大は学生演劇も盛んだが、演劇界は早大閥と日藝閥が強く、明大の演劇学専攻は実技の授業もないことから息子の大鶴義丹には明大ではなくどちらかに行くよう勧めている。
新劇の劇団に入るが、個性が強すぎたため上手くいかず、「唐は本当に馬鹿なのか?」議論している先輩の言葉を聞いて退団。状況劇場を結成し、子宮内をイメージしたという紅(あか)テントで活動。アングラ第1世代を代表する演劇人であった。横浜国立大学と近畿大学で教員も務めている。
多くの演劇人が追悼のメッセージを発しているが、個人的には余り好きなタイプではなく、栗東で行われた唐組によるテント公演を一度観ただけで、それ以降、唐の演劇に接する気にはなれなかった。


松尾大社へ。三条高倉の京都府京都文化博物館で行われている「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観たのだが、久しく松尾大社を訪れていないため、この際に行ってみることにしたのだ。
松尾大社は、阪急松尾大社駅を降りてすぐである。ちなみに松尾大社の「松尾」の読みは「まつのお」が古くからの公式なものとされているが、阪急松尾大社駅は慣例読みの「まつおたいしゃ」が採用されており、ややこしいことになっている。ただ松尾大社の関係者も「まつのお」が発音しづらいためか「まつおたいしゃ」と呼んでおり、「まつおたいしゃ」読みでも一向に問題ないようである。

複数ある「京都最古」を名乗る社の一つで、地元では「松尾さん」の名で親しまれている。

祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱。
社紋は双葉葵もしくは三つ葉葵で、賀茂神社と同じであり、兄弟社とも呼ばれる両社の関係を表している。

特別拝観が行われており、神官の案内で本殿の西側に近づいて見ることが出来る。拝殿の前では儀式が行われており、音楽に合わせて巫女さんが鈴を振って舞っていた。
現在の松尾大社の本殿は室町時代の建立(応永4年、1397年)であり、室町時代に流行った意匠が盛り込まれている。なお天文11年(1542年。種子島に鉄砲伝来の前年)に大改修が行われている。縁起の良い牡丹唐草と桐唐草の蟇股と呼ばれる彫刻がかなり目立っている。唐草を蟇股に使うのは室町時代の特徴だそうである。
それとは関係なく、本殿の檜皮葺の屋根は傾斜が正面と裏側とで同じという独特のもので、両流造(りょうながれづくり)、松尾大社に関しては松尾造と呼ばれている。
両流造の本殿を持つ神社は松尾大社の他に2つあるそうで、宗像大社と厳島神社がそれであるが、3つともに市杵島姫命を祭神としている。
松尾大社本殿の屋根の上の棟木の両端には唐破風が乗っており、これも珍しいものだそうで、箱棟と呼ばれているそうである。

元々は松尾山山上の磐座を祀っていた松尾大社。社殿はなかったが、701年(大宝元)に勅命により山麓に社殿を造ることが決まっている。秦忌寸都理(はたのいみきとり)が社殿を造営し、神霊を磐座から社殿に移した。以後も秦氏が神官を務め、秦氏の氏神となっている。秦氏は醸造技術に長けていたため、酒の神として全国に知られている。大山咋神は素戔嗚尊の孫ともされ、素戔嗚尊が八岐大蛇を倒した際に、八岐大蛇を酔わせた酒を造ったのが大山咋神だという話もある。

松尾大社の三つの庭園「松風苑(しょうふうえん)三庭」も見る。重森三玲(しげもり・みれい。三玲の号は画家のミレーに由来)の作庭によるもので、曲水の庭、上古の庭、蓬莱の庭からなるが、上古の庭を作り上げたところで重森三玲は死去。蓬莱の庭は設計はしていたが、実際の作庭は長男の重森完途(かんと)に任された。庭園の解説を書いているのは完途の息子の重森千青(ちさを)で、国立大学法人京都工芸繊維大学の非常勤講師と重森庭園設計研究室の代表を務めている。
重森三玲は、それまでそれほど重視されていなかった石を重視した作庭を行い、四国から緑泥片岩を多用している。緑泥片岩は、今では量が少ないので作庭などには使えないようだ。
松尾大社は亀と鯉を使いとしているそうだが、蓬莱の庭の池には亀と鯉が飼われている。
上古の庭の裏手には、磐座への登山道があるが、台風などの災害で道が崩れており、今では立ち入ることは出来ない。

境内にあるお酒の資料館では、茂山千五郎家による狂言の映像が流れていた(狂言「福の神」に福の神が酒を所望する場面がある)。


少し南にある摂社の月読神社にも参拝する。月読神は、天照大神、素戔嗚尊とほぼ同時に生まれた姉弟神で、性別不明の特に何もしない神様であるが、松尾大社の摂社である月読神とはそれとは別系統の神のようで、壱岐島の壱岐氏が祀る潮の満ち引きを司る月の神を勧請したもののようだ。元は松尾大社から独立した社であった。神官は壱岐氏の末裔である松室氏が務めたが、途中から秦氏に変わっている。
秦河勝が聖徳太子に重用されたからか、境内には聖徳太子社がある。聖徳太子が月読神を敬ったという話があるが出典不明、やはり秦氏と聖徳太子の関係が影響していると考えるのが普通であろう。

一帯の地名は桂、そこを流れるのが桂川、葛野郡に属しているが、全て月に掛かる地名であり、月読神が由来になっている可能性もある。



大河ドラマ「光る君へ」では、前関白藤原道隆(井浦新)の死により弟である藤原道兼(玉置玲央)が関白の宣下を受けるが、10日後に死去。「七日関白」と呼ばれる。第1話で紫式部ことまひろ(吉高由里子)の母親(国仲涼子)を殺害するシーンがあったが、悪役にするためのフィクションで、紫式部の母親は病死である。当時、200年ぶりといわれる疫病の大流行があり、疱瘡(天然痘)と咳を伴う病気(はしかか)の二種類だったようだが、道兼は咳の方だったという記録があるようで、ドラマでも実際に咳で苦しむ場面があった。
疫病により、上位の位階を持つ人々が次々に亡くなり、本来なら上がれるはずのない地位に若手が進むことになる。権大納言であった藤原道長(柄本佑)もその一人で、内覧(元々は官職ではないが摂政・関白の役目の一つを役職として無理矢理作ったもの。平安中期には関白に準じる職となっている)に任じられ、その後、右大臣に昇進している。関白と左大臣が空位なので、事実上の公家のトップである。
文才があり、美男子だったいう内大臣で中宮定子(高畑充希)の兄でもある藤原伊周(藤原道隆の長男。演じるのは三浦翔平)がライバルであったが、その後に伊周は自らの勘違いによる大事件を起こして左遷させられることになる。今回すでに伊周は権力欲の虜となった姿が描かれた。

今回は、紫式部と「筑紫に行く人(平維将)のむすめ」であるさわ(野村麻純)との別れも描かれる。父親に似て人付き合いが苦手であったことが推測される紫式部の唯一の親友である。

5月6日(月) 振替休日

曇り。気温は高めだが昨日ほどではない。


午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、海老原光指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるローム クラシック スペシャル「心と体で楽しもう!クラシックの名曲 2024 日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」を聴く。上演時間約70分休憩なしの公演。演目はグリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より抜粋で、江原陽子(えばら・ようこ)がナビゲーターを務める。

毎年のようにロームシアター京都で公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。夏にもロームシアター京都メインホールで主に親子向けのコンサートを行う予定がある。

昔から人気曲目であったグリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」であるが、2つの組曲で演奏されることがほとんどであった。CDでは、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による全曲盤(ドイツ・グラモフォン)、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団(DECCA)やネーメの息子であるパーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団の抜粋盤(ヴァージン・クラシックス)などが出ているが、演奏会で組曲版以外が取り上げられるのは珍しく、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられた抜粋版が実演に接した唯一の機会だろうか。この時は歌手や合唱も含めた演奏だったが、今回はオーケストラのみの演奏で、前奏曲「婚礼の場にて」、「夜の情景」、「婚礼の場にて」(前半部分)以外は2つの組曲に含まれる曲で構成されている。

ヘンリック・イプセンの戯曲「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読むための戯曲)として書かれたもので、イプセンは上演する気は全くなかったが、「どうしても」と頼まれて断り切れず、「グリーグの劇音楽付きなら」という条件で上演を許可。初演は成功し、その後も上演を重ねるが、やはりレーゼドラマを上演するのは無理があったのか、一度上演が途切れると再演が行われることはなくなり、グリーグが書いた音楽のみが有名になっている。近年、「ペール・ギュント」上演復活の動きがいくつかあり、私も日韓合同プロジェクトによるものを観た(グリーグの音楽は未使用)が、ゲテモノに近い出来であった。
近代社会に突如現れた原始の感性を持った若者、ペール・ギュントの冒険譚で、モロッコやアラビアが舞台になるなど、スケールの大きな話だが、ラストはミニマムに終わるというもので、『イプセン戯曲全集』に収録されているほか、再編成された単行本なども出ている。

今回の上演では、海老原光、江原陽子、日フィル企画制作部が台本を纏めて共同演出し、老いたソルヴェイグが結婚を前にした孫娘に、今は亡き夫のペール・ギュントの昔話を語るという形を取っている。江原陽子がナレーターを務め、「山の魔王の宮殿にて」では聴衆に指拍子と手拍子とアクションを、「アニトラの踊り」ではハンカチなどの布を使った動きを求めるなど聴衆参加型のコンサートとなっている。


指揮者の海老原光は、私と同じ1974年生まれ。同い年の指揮者には大井剛史(おおい・たけし)や村上寿昭などがいる。鹿児島出身で、進学校として全国的に有名な鹿児島ラ・サール中学校・高等学校を卒業後に東京芸術大学に進学。学部を経て大学院に進んで修了した。その後、ハンガリー国立歌劇場で研鑽を積み、2007年、クロアチアのロヴロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで3位に入賞。2010年のアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞している。指揮を小林研一郎、高階正光、コヴァーチ・ヤーノシュらに師事している。日フィルの京都公演で何度か指揮をしているほか、日本国内のオーケストラに数多く客演。クロアチアやハンガリーなど海外のオーケストラも指揮している。2019年に福岡県那珂川市に新設されたプロ室内オーケストラ、九州シティフィルハーモニー室内合奏団の首席指揮者に就任し、第1回と第2回の定期演奏会を指揮した(このオーケストラはその後、大分県竹田市に本拠地を移転し、改組と名称の変更が行われており、シェフ生活は短いものとなった)。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学(東京芸術大学は国立大学法人ということもあり、新字体の「東京芸術大学」が登記上の名称であるが、校門やWeb上で使われている旧字体の「東京藝術大学」も併用されており、どちらを使うかはその人次第である)音楽学部声楽科を卒業。現在、洗足学園音楽大学の教授を務めている。藝大在学中から4年間、NHKの番組で「歌のおねえさん」を務め、その後、教職や自身の音楽活動の他に、歌や司会でクラシックコンサートのナビゲーターとしても活躍している。日フィルの「夏休みコンサート」には1991年から歌と司会で参加するなど、コンビ歴は長い。


舞台後方にスクリーンが下がっており、ここに江原のアップや客席、たまにオーケストラの演奏などが映る。

海老原光の演奏に接するのは久しぶり。私と同い年だが、にしては白髪が目立つ。今年で50歳を迎えるが、指揮者の世界では50歳はまだ若手に入る。キビキビした動きで日フィルから潤いと勢いのある響きを引き出す。ビートは基本的にはそれほど大きくなく、ここぞという時に手を広げる。左手の使い方も効果的である。

日フィルは、創設者である渡邉暁雄の下で、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音による「シベリウス交響曲全集」をリリースし、更にはフィンランド出身のピエタリ・インキネンとシベリウス交響曲チクルスをサントリーホールで行って、ライブ録音を3度目の全集として出すなどシベリウスに強いが、渡邉の影響でシベリウス以外の北欧ものも得意としている。北欧出身者ではないが、フィンランドの隣国であるエストニアの出身で北欧ものを得意としているネーメ・ヤルヴィ(現在は日フィルの客員首席指揮者)を定期的に招いていることもプラスに働いているだろう。

音楽は物語順に演奏され、合間を江原のナレーションが繋ぐ。降り番の楽団員やスタッフも進行に加わる。演奏曲目は、前奏曲「婚礼の場にて」、「イングリットの嘆き」、「山の魔王の宮殿にて」、「オーゼの死」、「朝(朝の気分)」、「アラビアの踊り」、「アニトラの踊り」、「ペール・ギュントの帰郷」、「夜の情景」、「ソルヴェイグの歌」、そしてペール・ギュントとソルヴェイグの孫娘の結婚式があるということで「婚礼の場にて」の前半部分が再び演奏される。

ロームシアター京都サウスホールは、京都会館第2ホールを改修したもので、特別な音響設計はなされておらず、残響もほとんどないが、空間がそれほど大きくないので音はよく聞こえる。日フィルも音色の表出の巧みさといい、全体の音響バランスの堅固さといい、東京芸術劇場コンサートホールやサントリーホールで聴いていた90年代に比べると大分器用なオーケストラへと変わっているようである。
江原陽子のナビゲートも流石の手慣れたものだった。


演奏終了後に撮影タイムが設けられており(SNS上での宣伝に使って貰うためで、スマホやタブレットなどに付いているカメラのみ可。ネットに繋げない本格的な撮影機材は駄目らしい)多くの人がステージにカメラを向けていた。

終演後には、海老原光と江原陽子によるサイン会があったようである。


小学生からのコンサートなので、ある程度の雑音は許容範囲としなければいけないのであるが、大人、それも比較的高齢の人達のマナーがとにかく悪い。全く関係ないチラシを音を立てながら読み、挙げ句の果てには落とす。演奏が行われているにも関わらずスマホをいじり続けるなど、論外の行動が目立ち、「一体、何をしに来ているんだろう?」と不思議になる。
京都の聴衆のマナーの悪さは昔からで、あの温和な大友直人から皮肉られるほどだった。あれから大分経つが、状況は余り変わっていないようである。



録画しておいた朝の連続テレビ小説「ブギウギ 総集編」前・後編を見る。主演:趣里。出演:草彅剛、柳葉敏郎、水川あさみ、菊地凛子、水上恒司、生瀬勝久、黒崎煌代、伊原六花、蒼井優、翼和希、近藤芳正、黒田有、村上新悟、木野花、森永悠希、吉柳咲良、市川実和子、三浦獠太、みのすけ、中村倫也、藤間爽子、田中麗奈、水澤紳悟、小雪、三浦誠己、富田望生、ふせえり、陰山泰、新納慎也、安井順平、中越典子、橋本じゅん、升毅、澤井梨丘ほか。脚本:足立紳、桜井剛、音楽:服部隆之。
「東京ブギウギ」などで知られるブギの女王、笠置シヅ子(歌手時代の表記は笠置シズ子)をモデルに、歌と踊りで綴る昭和絵巻。

1話15分だが、週5回放送、半年続くので、結構な長さであるが、総集編として上手くまとめてある。
ヒロインの福来スズ子を演じる趣里の歌の進歩が確認出来るのが大きい。第1回での「東京ブギウギ」では旋律通りの歌い方といった印象だが、次第に即興性を増し、最後のバラード版「東京ブギウギ」では本職の歌手も真っ青の出来まで高めている。

NHK大阪放送局の制作だけに、人情の描き方も上手く、華やかさと哀しさを合わせ持った良作となっている。

初の朝ドラ出演で、服部良一をモデルとした羽鳥善一を演じた草彅剛の存在感はやはり大きく、羽鳥が望んだ「ジャズ」を演技で体現しているかのよう。同時期に西島秀俊や濱田岳が指揮者役で他のドラマに出ていたが、草彅剛の動きと佇まいが一番指揮者っぽい。

意外に不評の声もあった富田望生や三浦獠太であるが、初々しさもあり、好演といって良いと思う。

少し抜けた弟、六郎を演じた黒崎煌代。高倍率のオーディションを何度も突破した猛者だが、人とは違ったキャラを巧みに演じている。実は脚本の足立紳の息子が発達障害の傾向があるそうで、そうした要素を取り入れることになったようである。

未来の大女優候補である伊原六花。OSKで40年以上に渡って舞台に立ち続けたという秋月恵美子がモデルとされる秋山美月を、最初は少し生意気な後輩として、後には東京でスズ子と同居しながら夢を追う盟友として生き生きと演じていた。彼女は「バブリーダンス」で有名になった大阪府立登美丘高校ダンス部の元キャプテンであり、梅丸少女歌劇団を引っ張って行くであろう姿が様になっていた。

5月7日(火)

小雨の降る天気。


NHKドラマ10「燕は戻ってこない」第2話。優秀な元バレリーナで、やはり優れたバレリーナだった千味子(黒木瞳)を母に持つ草桶基(稲垣吾郎)が自分達のDNAの優秀さを示す証として代理母制度を使用することを語るシーンがあり、エゴイズムが丸出しになる。妻で不妊に苦しむ悠子(内田有紀)に、「(代理母になる女は)金に困って申し出たんだろう」「俺たちが取り下げれば別の夫婦の子どもを産む」「俺たちの方が代理母にとっても幸せ」「お互いWin-Win」というような無神経なことを言い続ける。悪気なく言っているのが稲垣吾郎が得意とするキャラも相まって伝わってくる。

一方の代理母契約を結んだリキ(石橋静河)は、貧困女子であり、同じボロアパートに住む民度の低い住民に悩まされ続ける。
北海道出身のリキ。北海道の中でも外れの方だが(そもそも北海道は札幌が飛び抜けた都会で、他は静かな町が多い)、ずっとそこで暮らしてきて、就職も地元でした。窮屈な田舎町。何かあればすぐ噂に上る。札幌に出る人も多い。上司の日高(戸次重幸。TEAM NACSの俳優で北海道出身)と不倫の関係になるリキだったが、「この町を出れば変われる」との思いから東京に出ることを決意する。
しかし東京で待ち受けていた暮らしは思っていたよりも辛いものだった。
そんな中、叔母の佳子(よしこ。富田靖子が演じる)が危篤との知らせを受けたリキ。佳子とは親しくしていたが、未婚のまま年を重ねた佳子はリキに自分のようにはなって欲しくないと感じていた。母親から北海道に戻るように言われたリキだったが、お金がなく戻ることが出来ないうちに佳子の訃報を受ける。
「お金さえあれば」。代理母を引き受ければ最低300万円は貰えることを知ったリキはエージェントを訪ねて代理母になることを告げ、基や悠子と対面する。

貧困に陥りやすい立場にいる女性や、女の存在価値を押しつけ、最新の技術を己の欲望のために利用しようとする夫とその母の姿が描かれ、現代の闇が炙り出される。女が置かれた立場をリアルに描き出すことを得意とする桐野夏生の原作と長田育江の脚本が秀逸である。

5月8日(水)

今日は気温は低め。風が涼しい。


午後6時30分から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、マキノノゾミ・犀の角「初級革命講座飛龍伝」を観る。作:つかこうへい、演出:マキノノゾミ。
今でこそウエルメイドな本を書く人として知られているマキノノゾミだが、元々はつかこうへいに憧れて本格的に演劇を始めた人で、同志社大学と同志社女子大学の学生を中心に自ら主宰として立ち上げた劇団M.O.P.も元々はつかこうへい作品を上演する劇団だった。

無料パンフレットに、マキノノゾミがつか作品との出会いを記している。同志社大学に入学したマキノノゾミだが、最初から演劇サークルに入った訳ではなく、1回生の途中から、それも成り行きで同志社大学の演劇サークルの一つである第三劇場(今もバリバリの現役学生劇団である)に入部。下宿先の先輩の家でたまたま「つかこうへい特集」がテレビで放送されており、「初級革命講座飛龍伝」のダイジェスト映像を観たマキノは一発で引き込まれ、直後に劇団「つかこうへい事務所」が大阪公演を行うというので、サークル仲間と3人で観に行き、「これはロックだ!」と大興奮。ちなみに下宿先の先輩も一緒に劇を観に行った仲間もマキノほどには熱狂しなかったようである。以降、つかを崇拝し、つか作品を上演し続ける日々が続く。マキノノゾミ(1959年生まれ)と同時代に同志社大学に在籍していた演劇人に生瀬勝久(1960年生まれ)がいるが、生瀬の証言によると「当時は『熱海殺人事件』を上演すれば客が入る時代」だったそうで、生瀬は喜劇研究会(元々はモリエールなど西洋の喜劇を演じるサークルだったが、生瀬が入学した頃にはお笑いサークルだった。生瀬は「喜劇をやりたい」というので第三劇場などの演劇サークルに演劇のイロハを教わったようである。喜劇研究会は今はお笑いサークルに戻っている)に所属していたが、客を呼びたいので、「熱海殺人事件殺人事件」というパロディ劇を作って上演したこともあったようである。その後、生瀬は第三劇場に移り、マキノと交流。しかし、京都大学の劇団であった「そとばこまち」の座長、辰巳琢郎(当時の芸名は、つみつくろう)に呼ばれ、いきなり辰巳から劇団員に「新しく入った生瀬だ」と紹介され、「僕は同志社ですよ!」と断ろうとするも成り行きで「そとばこまち」の座員となり、槍魔栗三助の芸名で活躍、後に京大出身者以外では初となる「そとばこまち」の座長となっている。
ちょっと生瀬の紹介が長すぎたが、つか演劇が熱かった時代だということだ。

アングラ演劇(アンダーグラウンド演劇)には第3世代まであり、第1世代を代表するのが先頃なくなった唐十郎や鈴木忠志、蜷川幸雄など複数の人物であるが、第2世代はつかこうへいの独走。他にも学者を兼任して実際に起こった事件を題材にした演劇を多く作った山崎正和などがいるが、つかに比べると幾分影が薄い。
つかこうへい自身は慶應義塾大学の出身であるが、つかこうへい演劇を代表する俳優である風間杜夫、平田満、三浦洋一らは早稲田大学の出身である。つかはエッセイで、「人間最後に信用出来るのは金と学歴」と記したこともあり、阿部寛(中央大学出身)、石原良純(慶應義塾大学出身)ら有名難関大学出身者と好んで仕事をしている。弟子とした作家の秦建日子も早稲田大学出身である。

今回のプロジェクトは、長野県上田市にある小劇場・犀の角を訪れたマキノが直感的に「この小さな舞台で『飛龍伝』をやってみたい!」と思いついたことから始まっている。犀の角の主宰者である荒井洋文は第三劇場の遠い後輩という縁もあったようだ。

出演は、武田義晴、吉田智則、木下智恵の3人。

オリジナルの台本では、冒頭で学生運動や安保闘争などが長台詞で説明され、つか演劇ではお馴染みのキャストの紹介も行われるのだが、今回は演出の都合上カットされている。その代わり台本の冒頭部分が無料パンフレットに掲載されており、平田満、長谷川康夫といった初演時のキャストの名が見られる。

吉田智則が「狂犬」と呼ばれた機動隊員の山崎を、武田義晴が「機動隊殺し」と呼ばれた田町解放戦線の熊田留吉を、木下智恵が熊田の息子の嫁であるアイ子を演じる。つか演劇の特徴である長台詞が多用されており、延々と語るシーンが続く。つか自身は「口立て」と呼ばれる独自の演出法を採用しており、予め台本が用意され、俳優は各々覚えてくるのだが、稽古場でつかが即興的に台詞を変えて発し、俳優はそれに付いていくことになる。つかの「口立て」については、「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」に主演した阿部寛の著書『アベちゃんの悲劇(後に『アベちゃんの喜劇』とタイトルを変えて文庫化)』や北区つかこうへい劇団に入団した内田有紀の証言などで触れられているが、一発で覚えられないと台詞がどんどん短くなっていくという過酷なものであった。ただマキノはこうした演出は行っていないと思われる。
なお、放送だと自粛規制に引っかかる言葉や死語になったもの、変更された企業名などが出てくるが、出来るだけ台詞を変えずに上演される。

機動隊員・山崎は、学生運動をしていた学習院大学の学生である立花小夜子を介抱したことから同棲するようになる。
一方、田町解放戦線の勇者であった熊田留吉(田町は慶應義塾大学三田キャンパスの最寄り駅で、熊田も慶應義塾大学出身)は、脚を怪我して今は石磨き職人をしている。公団住宅に住み、家具も次々に増え、趣味でUSENを引いているなど良い暮らしで、息子の嫁であるアイ子(早稲田大学出身)と共に過ごしている。熊田の妻は実は小夜子であった。小夜子はすでに他界している。熊田はアイ子に投石用の石を探させており、アイ子は練馬区の外れまで適度な石を探すが見つからず引き返してくるが、「秋田や新潟まで行くのが革命だ」と熊田は怒る。
熊田と共に田町解放戦線で学生運動を行っていた慶大の学生は、その後、三菱銀行に入ったり都庁の職員になったりしており、学生運動のことなど忘れたかのようであった。本来なら革命からは最も遠いはずの人達であり、熊田を訪ねてきた山崎はそれが憎らしくてたまらない。ちなみに田町解放戦線は、熊田によると「エリートしか入れない」そうで、慶大の中でも上流のお坊ちゃんばかりを集めており、学生運動の現場まで外車で乗り付け、運転手が敷いた赤絨毯の上を歩いて登場したそうである。お坊ちゃんは引き際を心得ているというので、東大と慶大の学生は逃げるのが上手く、日大の学生(当時、日大全共闘は最も過激と言われた)は逃げずにやられるというパターンだったと語られる。熊田は実は軟派な学生で、学生運動の現場のすぐ横で女の子とデートしていたり、交番で警官と将棋を指したりしていたらしい。

台詞は当時の学生運動の描写などが中心になるが、熊田は千葉県成田市の三里塚闘争で逃げ出してしまい、熊田が援軍を呼びに行ったと信じた多くの仲間が犠牲になった。

負傷した学生達は警察病院に運び込まれるが、「警察の世話にはならない」として治療を拒否、身体が不自由になる。

アイ子は、熊田の脚の怪我はもう治っているのではないかと疑うが、山崎も同様の印象を抱いており、1980年11月26日に熊田が闘士として国会議事堂前に帰ってくることを願っていた。

「初級革命講座」とあるように、学生運動を知らない世代の人にも分かるよう作劇がなされている。飛龍が投石で使われる特別な石の名前だったりするなどエンターテインメントの要素も強いが、山形県の田舎の小作農の八男坊で、中卒で機動隊員になり、もうこれ以外に道のない山崎と、難関大学に在籍する上流階級出身者で将来が明るい学生達との差などが語られ、「熱海殺人事件」にも通じる格差や差別なども描かれる。在日韓国人二世として生まれ、生涯帰化しなかったつかこうへいの世界観がここに提示されている。

ストーリーとしては他のつか作品に及ばない印象は受ける。ただ発せられるエネルギー量は凄まじく、なぜ人々がつかの演劇に熱狂したのかが伝わってくる。


5月9日(木)

今日も風が涼しい。


Eテレ「CLASSICTV」。ピアニストの清塚信也と歌手・モデルの鈴木愛理によって進められるクラシック番組。今日はグスタフ・マーラーが書いた11曲の交響曲をダイジェストで紹介する。ゲストはミュージカル俳優の甲斐翔真。交響曲第5番第4楽章アダージェットが好きだそうである。

交響曲第1番「巨人」では、広上淳一指揮京都市交響楽団による京都コンサートホールで収録された映像が流れる。第4楽章の冒頭の場面である。

交響曲第2番「復活」は、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによる演奏が流れるが、清塚信也イチオシの映像だそうで、番組の最後にも映像が流れた。

交響曲第3番は、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団ほかの演奏。デュトワとマーラーは余り結びつかないが、私が初めて生で聴いた海外オーケストラはシャルル・デュトワ指揮のフランス国立管弦楽団で、サントリーホールでの演奏であったが、メインはマーラーの交響曲第1番「巨人」であった。

交響曲第4番は、パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団ほかの演奏。パーヴォ・ヤルヴィ指揮のマーラーは、フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)を指揮した交響曲第5番を名古屋で、NHK交響楽団首席指揮者就任記念となった交響曲第2番「復活」を渋谷のNHKホールで聴いている。

第5番は、セミヨン・ビジュコフ指揮NHK交響楽団の演奏が採用される。アダージェットは作曲背景も含めて別個に紹介されている。

第6番は、サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。ハンマーを振り下ろされるシーンが取り上げられる。

交響曲第7番「夜の歌」は、NHK交響楽団の演奏であるが、指揮者の姿は映らなかった。

交響曲第8番「千人の交響曲」は、ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の新しい映像が用いられていた。

交響曲「大地の歌」は、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによるものであるが、クリスタ・ルートヴィヒの歌唱シーンのみでバーンスタインの姿は映らない。

交響曲第9番は、ヘルベルト・ブロムシュテットが95歳の時にNHK交響楽団を指揮した映像が採用される。この演奏会は私も東京・渋谷のNHKホールまで行って聴いている。この時、ブロムシュテットはロシアのウクライナ侵攻に反対し、胸にウクライナの国旗の色である青と黄色の二色を合わせたリボンを付けての指揮であった。

交響曲第10番よりアダージョは、クラウディオ・アバド指揮のものである。オーケストラは不明。ルツェルン祝祭管弦楽団かも知れないが名言は出来ない。

5月10日(金)

TBS系「3年B組金八先生」シリーズ、NHK大河ドラマ「徳川家康」「翔ぶが如く」で知られる脚本家の小山内美江子が今月2日に死去していたことが分かる。94歳。老衰での大往生である。本名は笹原美江子。映画監督・俳優の利重剛(本名:笹原剛)は一人息子である。利重剛が物心つく前に夫とは離婚しており、息子には「父親はサンフランシスコで単身赴任している」と嘘をついていた。
映画監督志望であったが、当時の映画界は男社会で女で映画監督になることが困難。そこで映画の記録係となり、その後、脚本家に転身した。
「3年B組金八先生」第1シリーズは私が初めて見た連続ドラマ、「徳川家康」は初めて見た大河ドラマであり、印象深い。「徳川家康」は、主演の滝田栄も良かったが、織田信長を演じた役所広司が格好良く、役所自身が「しばらくは信長で食っていた」と語るほどの当たり役であった。また冨田勲が手掛けた音楽、特にメインテーマが名曲である。コンピューターに打ち込んだ音楽にオーケストラと男声合唱(冨田の母校の団体である慶應義塾ワグネル・ソサエティー男声合唱団が担当)が合わせるというものだったが、当時のNHK交響楽団の楽団員は「機械に合わせるなんて」と難色を示し、録音は難航したという。「徳川家康」のテーマ音楽はその後、大友直人指揮東京交響楽団、東京混声合唱団によって再録音されているが、この時はトラブルは全く起こらず、録音に立ち会った冨田も歳月の経過を実感したという。
面白いところでは、織田裕二の初主演作である「十九歳」の脚本も手掛けている。織田裕二はタイトル通りの19歳ではなく、23歳ぐらいだったと思うが、放送開始前から「久々の大型新人」と期待されていた。



フジテレビONEで、東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツの試合をテレビ観戦。神宮球場でのゲームである。

今日のスワローズは黄緑色で胸に「TOKYO」の文字が入った燕(エン)パワーユニフォームを着ての戦い。神宮球場を訪れたスワローズファンにも燕パワーユニフォームが配布されてスタンドが緑に染まり、バックネット下のフェンスの広告や、電光掲示板の表示も緑色に変えられ、かなり徹底された趣向となっている。

ジャイアンツは、今年はビジターの試合では東京ジャイアンツ時代を彷彿とさせる復古調のユニフォームを着てプレーする。キャップのマークもYGではなく、かつて使われていたTGである。

スワローズの先発は、ハーラーダービートップの4勝をマークしているヤフーレ。ジャイアンツの先発は今季の開幕投手も務めた戸郷翔征。

ジャイアンツが1回表に吉川尚輝右中間への一発で1点を先制。その後は投手戦となる。

打たせて取るタイプのヤフーレ。今日も奪三振は少なく、自身のスタイルを貫く。
7回表に小林誠司の左中間へのソロホームランを許したヤフーレ。8回表もマウンドに立つが、一死二三塁で岡本和真を敬遠して満塁としたところでマウンドを降りる。打たせて取るタイプなのでヒットにもなりやすいという判断だったようだ。2番手は丸山翔大(しょうた)。坂本勇人を6-4-3のダブルプレーに打ち取り、追加点を与えなかった。

スワローズは8回に、この回からマウンドに上がったドラフト1位ルーキーの西舘勇陽を攻め、二死二三塁のチャンスを作る。バッターは4番の村上宗隆。ここでキャッチャーの小林がパスボールし、スワローズが1点を返す。村上がフォアボールで歩いたところでピッチャーは船迫に代わる。
その後、二死満塁のチャンスで、長岡が高梨雄平から流し打ちの良い当たりを飛ばすが、サード・坂本が好捕。追加点はならなかった。
ジャイアンツは9回裏はバルドナードをマウンドに送ってスワローズ打線を抑え込み、東京ダービーの初戦は2-1でジャイアンツが勝利した。

5月11日(土)

イオンシネマ京都桂川まで、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|opus」を観に出掛ける。「Ryuichi Sakamoto|opus」は日本全国で上映されるが、京都府で上映されるのはイオンシネマ京都桂川のみである。生前の坂本龍一が音響監修を務めた109シネマズプレミアム新宿で先行上映が開始され、昨日5月10日より全国でのロードショー公開が始まっている。

イオンシネマ京都桂川の入るイオンモール京都桂川は、京都市の南西隅といっていい場所に建っており、すぐ南と西は京都府向日(むこう)市で、敷地の一部は向日市内に掛かっている。
最寄り駅はJR桂川駅と阪急洛西口駅で、桂川駅は目の前、洛西口駅からも近く、交通の便はいいのだが、立地面からこれまで訪れたことはなかった。ただイオンシネマ京都桂川でしか上映されないので行くしかない。イオンモール京都桂川とイオンシネマ京都桂川は2014年オープンと新しく、「Ryuichi Sakamoto|opus」が上映されるイオンシネマ京都桂川スクリーン8はDolby Atmos対応で、音響面から選ばれたのだと思われる。


少し早い時間に阪急洛西口駅に着いたので、西に向かい、向日市物集女(もずめ)町にある物集女城の跡を訪ねてみることにする。
洛西口駅は京都市西京区と向日市の境近く、わずかに京都市側に建つ駅で、開業は2003年とまだ新しい。駅の西口を出て目の前の道を西に進むとすぐに向日市に入る。
物集女の交差点で南北に走る物集女街道を南に折れてしばらくすると西側に物集女城の藪が見えるのだが、関係者以外立ち入り禁止で近づくことは出来ない。そのまま南に進むと「物集女城(主郭)」の案内が目に入るので小さな道を西に入り、往事は中条と呼ばれた道を北に折れると、東側に主郭らしきものが見えてくる。
物集女城の主郭は現在私有地となっており、立ち入ることは出来ない。公道から眺めるだけとなる。主郭の大部分は現在畑となっていて、遠くの藪の下に土塁があり、その裏には水堀が残っているようである。いずれも想像することしか出来ない。
主郭の西にもう一つ郭があったようだが、現在は住宅が建ち並んでおり、城跡らしき雰囲気は皆無である。

物集女城は、秦氏の末裔といわれる物集女氏の居城(居館)であり、物集女氏は当時、西岡といわれた一帯の国人(土豪)で、室町時代には西岡被官衆と呼ばれた地方有力武門の一つと見做されていた。しかし、織田信長の台頭後、西岡は一つ南の長岡(現在の京都府長岡京市)に本拠地を与えられた細川藤孝(細川幽斎。長岡時代は「長岡」を苗字とした)の支配下に入る。西岡衆は本領を安堵されたため、本来なら藤孝にお礼の挨拶に行くべきところを、当時の当主である物集女忠重入道宗入なる人物がこれを拒否したため、藤孝は激怒。忠重入道宗入は、藤孝の居城である勝竜寺城に誘い出されて誅殺され、物集女氏は勢力を失った。
中条の道沿いに、2022年に向日市制50周年を記念して作られた物集女城公園という小さな児童公園があり、物集女城の案内板や、空撮した物集女城跡の写真なども見ることが出来る。案内板は以前は主郭の近くにあったようだが撤去され、物集女城公園に新しいものが出来たようだ。

近くに古墳があるようなのだが、時間がないので来た道を引き返し、洛西口駅の東に出て、歩いて5分ほどのところにあるイオンモール京都桂川に入る。横断歩道に直結しており、2階から入ることになった。



「Ryuichi Sakamoto|opus」は、坂本がNHKの509スタジオを借りて数日掛けてモノクロームで収録し、「これが最後」のコンサートとして有料配信したピアノ・ソロコンサート「Playing the Piano 2022」の完全版である。「Playing the Piano 2022」(13曲60分)の倍近くの長さ(20曲115分)があり、配信コンサートではおまけとして流されたアルバム「12」に収録された音楽の実演の姿も見ることが出来る。また、別テイクも収録されている。監督は空音央、撮影監督はビル・キルスタイン、編集は川上拓也、録音・整音はZAK、照明は吉本有輝子。3台の4Kカメラでの収録で、この時、坂本は体力的に一日数曲弾くのがやっとだった。

映画館の入り口でポストカードが配布され、裏面にセットリストが載せられている。
曲目は、「Lack of Love」、「BB」、「Andata」、「Solitude」、「for Johann」、「Aubade 2020」、「Ichimei-small happiness」、「Mizu no Naka no Bagatelle」、「Bibo no Aozora」、「Aqua」、「Tong Poo」、「The Wuthering Heights」、「20220302-sarabande」、「The Sheltering Sky」、「20180219(w/prepared piano)」、「The Last Emperor」、「Trioon」、「Happy End」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」、「Opus-ending」。邦題やカタカナ表記の方が有名な曲もあるが、一応、オリジナル通りアルファベットのみで記した。

イタリアでやると何故か大受けする曲で、映画「バベル」にも用いられた「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は原曲の長さが終わっても弾き続け、主旋律を保ったまま伴奏を暗くしていくという実験を行っており、途中で納得がいかずに演奏を中断。弾き直してまた止めてやり直すというシーンが収められており、演奏を終えた後で坂本は「もう一度やろうか」と語る。NGテイクが映画では採用されていることになる。

1曲目の「Lack of Love」は全編、ピアノを弾く坂本の背後からの撮影。後頭部を刈り上げてもみあげを落としたテクノカットにしていることが分かる。
「Tong Poo(東風)」は、リハーサルからカメラが回っており、練習する坂本の姿が捉えられている。

ジュリエット・ビノシュ主演のイギリス映画「嵐が丘」のテーマ曲である「The Wethering Heights」や、市川海老蔵主演の映画「一命」のテーマ曲である「Ichimei-small Happiness」は、コンサートにおいてピアノ・ソロで演奏するのは初めてだそうである。特に「The Wethering Heights(嵐が丘)」は、KABからピアノ・ソロ版の楽譜が出版されているだけに意外である。

2020年にも配信でピアノ・ソロコンサートを行った坂本だが、生配信を行ったのは、「癌で余命半年」との宣告を受けた翌日であり、自身では何が何だか分からないまま終わってしまった。これが最後になるのはまずいということで、2022年の9月に8日間掛けて収録されたのが今回の映画と、元になった配信コンサートである。坂本本人は出来に満足しているようである。
坂本本人も指摘されていたようだが、年を重ねるごとにピアノのテンポが遅くなっており、今回のコンサート映画の演奏もテンポ設定は全編に渡って比較的遅めである。誰でもそうした傾向は見られ、収録時70歳ということを考えれば、バリバリ弾きこなすよりもじっくりと楽曲に向かい合うようになるのも当然かも知れない。またこの時点で死が目前に迫っていることは自覚しており、彼岸を見つめながらの演奏となったはずだ。

坂本のピアノ・ソロで聴いてみたかった曲に「High Heels」がある。ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ハイヒール」のメインテーマで、これもKABからピアノ・ソロ版の楽譜が出ており、実は私も弾いたことがある。坂本本人がメインテーマをピアノで弾いたことがあるのかどうか分からないが(別バージョンのピアノの曲はあったはずである)、弾いていたらきっと良い出来になっていただろう。

エンディングの「Opus」は、当然ながら坂本が弾き始めるが、途中でピアノの自動演奏に変わり、演奏終了後にスタジオを去る坂本の足音が収録されていて、「不在」が強調されている。
坂本の生年月日と忌日が映され、坂本が愛した言葉「Ars Longa,vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」の文字が最後に浮かび上がる。

ピアノ一台と向かい合うことで、坂本龍一という存在の襞までもが明らかになるような印象を受ける。彼の音楽の核、クラシックから民族音楽まで貪欲に取り込んで作り上げた複雑にしてそれゆえシンプルな美しさを持った音の彫刻が屹立する。それは他の誰でもない坂本龍一という唯一の音楽家が時代に記した偉大なモニュメントであり、彼の音楽活動の最後を記録した歴史的一頁である。

5月12日(日)

たまに小雨がぱらつく天気。


左京区岡崎の京都市勧業館 みやこめっせ3階「第3展示場」で、「TAIWAN+PLUS 2024 京都新宝島 KYOTO FORMOSA(台湾の別称。「美しい」という意味である)」というイベントの2日目にして最終日を見に行ってみる。台湾の屋台と、音楽ステージで行われる演奏の二本柱で行われる2日間のイベント。「TAIWAN+PLUS」は、これまでは東京の上野で行われてきたが、今年は文化施設が集中する「京都の上野」ともいうべき左京区岡崎のみやこめっせで行われることになった。入場無料である。

音楽ステージでは、キンボー・イシイ指揮のStyle KYOTO管弦楽団(イベント会社のStyle KYOTOがメンバーを集めたオーケストラで、常設ではないと思われるが、ゴールデンウィークにロームシアター京都で行われた「『のだめカンタービレ』音楽祭 in KYOTO」にも出演しており、仕事は多いようである)の演奏が行われており、京都市少年合唱団による「日本の四季・京のわらべ歌」(編曲:松園洋二)、京都市出身で同志社大学卒の毎日放送(MBS)アナウンサー・西村麻子が『徒然草』の現代語訳テキストを朗読する岸田繁(くるり)作曲の「京わらべ歌による変奏曲~朗読とオーケストラのための~」が取り上げられていた。西村麻子はアナウンサーだけあって朗読も安定感があって上手い。

ラストは台湾の少数民族・普悠瑪族出身の一族の歌唱による普悠瑪音樂家族×Style KYOTO管弦楽団の演奏が行われる。普悠瑪族は、台湾の台東市に住む少数民族で、南王村に居住することから南王族とも呼ばれているようである。全員、民族衣装を着ての登場。
「小鬼湖の恋」「冬の祭り」「美しき稲穂」「卑南山」「祖先頌歌」「みなさんさようなら(再見大家)」といった普悠瑪族の民謡が歌われ、キンボー・イシイ指揮のStyle KYOTO管弦楽団が伴奏を行う。なお、みやこめっせの「第3展示場」は当然ながら音響設計が全くなされていないため、ステージ上にマイクを何本も立てて、スピーカーで拡大した音が流れる。
背後のスクリーンには文字や映像が流れた。

指揮者のキンボー・イシイは、名前だけみると日系人っぽいが、日本人の指揮者である。台湾生まれということと、幼少期を日本で過ごしたほかは、ヨーロッパとアメリカで教育を受けたというところだけが一般的な日本人指揮者とは異なる。最初、ヴァイオリニストを志すも左手の故障のために断念し、指揮者に転向している。本名は石井欽一で、「一(いち)」を横棒に見立てた「キンボー」があだ名となり、師である小澤征爾から「お前はキンボーを名乗れ」と言われたことからあだ名の「キンボー」を芸名にしている。以前は母方の姓も含めたキンボー・イシイ=エトウと名乗っていたが、長すぎるためかキンボー・イシイに改めている。キャリアは欧米中心で、現在はドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立劇場の音楽総監督。大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)の首席客演指揮者を務めていたこともあるが、関西のプロオーケストラの定期演奏会に出演する機会は最近では余り多くない。今年はNHK交響楽団の演奏会に客演し、NHK大河ドラマのテーマ曲集などを指揮。今年の大河ドラマである「光る君へ」の冬野(とうの)ユミ作曲によるテーマ音楽「Amethyst」や、昨年の大河ドラマ「どうする家康」の稲本響作曲によるテーマ音楽「暁の空」も指揮している。この演奏会は映像収録が行われ、NHK交響楽団の公式YouTubeチャンネルでその模様を見ることが出来る

アンコールとして、「野火」と「大巴望の歌」が歌われ、キンボー・イシイもマイクを向けられて一節を歌った(台湾生まれだけに言葉が出来るのかも知れない)。
かなり楽しい音楽で、珍しさもあり、聴衆に好評であったように思う。


午後5時過ぎに演奏が終わった後も、屋台などは午後6時まで営業を続けるが、食品などは屋内ということもあってか控えめ。お馴染みのパイナップルケーキや、日本ではブームが去ったタピオカ入りミルクティーなどを買って飲んだ。

5月13日(月)

午前中から昼過ぎに掛けて雨。


四条河原町にある京都髙島屋の7階で、第15回「大九州展」という物産展が行われているので入ってみる。フードコーナーの出店は、長浜ラーメンの「長浜ナンバーワン」。煮たまごラーメンを頼んでみる。

豚骨ラーメンは個人的に好きで、よく食べたりもするのだが、京都市内にはこれといった豚骨ラーメン店はない。木屋町の「みよし」も以前ほど美味しくないし、全国チェーンの「一蘭」も烏丸店は悪くはないといった程度。ただ「一蘭」は高い。
今回の「長浜ラーメン」の煮たまごラーメンも値段設定はやや高めであるが、味は納得のいくものである。ただ長浜ラーメン(博多ラーメン)は替え玉前提なので、麺の量が多くない。特に替え玉したいと思わない場合には物足りなさも感じる。

5月14日(火)

東京ヤクルトスワローズは、愛媛県松山市の坊ちゃんスタジアムでのホームゲーム。広島東洋カープと戦う。
坊ちゃんスタジアムで毎年試合を開催しているスワローズ。秋季キャンプも坊ちゃんスタジアムで行い、自主トレを坊ちゃんスタジアムで行う選手もいる。

スワローズの先発は変則右腕の小澤(こざわ)、カープの先発は左腕の床田。

スワローズは村上宗隆を久しぶりに3番で起用。4番には現在セリーグ首位打者のサンタナが入り、現在リーグ打点トップのオスナが5番を務める。投手ではヤフーレが現在4勝を挙げているが、本当にヤクルトの外国人選手には優良プレーヤーが多い。

試合は投手戦となり、4回表に小園のタイムリースリーベースでカープが1点を先制。小園は6回にもタイムリーを放って、2-0とカープがリードを拡げる。その後、スワローズは無死満塁とピンチを迎えるが、2番手の左腕・「ハセヒロ」こと長谷川が三振とゲッツーで追加点を許さず。長谷川は7回のマウンドにも上がり、三者凡退に抑えた。ストレートのMAXは149キロを記録。

7回裏に今日は8番セカンドで先発出場した武岡龍世が右中間へのソロホームランを放つが、奪ったのはこの1点だけ。現時点での首位打者と打点王がいるが、山田哲人も塩見もいないヤクルト打線に余り怖さはなく、最後は栗林良吏に抑えられて1点差でゲームを落とした。



NHKドラマ10「燕は戻ってこない」第3話。今回は、吹越満や森崎ウィンが登場する。
悠子(内田有紀)は基(稲垣吾郎)との結婚よりも基の子を産むことを望んでいたことが明かされる。しかし、皮肉にも悠子は子どもが産めない体だった。これはリキ(石橋静河)のドラマのように見えて、悠子のドラマでもあることが分かる。
基は上機嫌であるが、母体の健康を保つためリキの行動を制限しようと無邪気に考えている。悪気が全くないのが怖い。悠子が苦言を呈しようとするが、「(こっちは)依頼主だよ」とビジネスライクを貫く。母親の千味子(黒木瞳)も基と一体化している感じで互いに独立していない。

カメラワークにも特徴があり、被写体の周りをぐるりと巡るカメラの動きが何度も出てくる。

中華レストランでのシーンに不思議な場面がある。二胡が弾かれ、西条八十作詞、服部良一作曲の「蘇州夜曲」が客全員で歌われる。「蘇州夜曲」は昭和を代表する名曲であるが、みな歌詞を覚えていて歌えるということに違和感を覚える(そして全員同じところでメロディーを間違えている)。どういう意図があるのか不明である。



朝ドラ「虎に翼」では、猪爪寅子(伊藤沙莉)が念願の弁護士になるが、依頼者は女ということで寅子を信頼せず、寅子には仕事は回ってこない。一方、明律大学の同期で先に裁判官になった花岡(岩田剛典)は故郷の佐賀へと帰り、寅子との関係は発展せずに終わった。寅子の母である、はる(石田ゆり子。朝ドラ名物立ち聞きシーンあり)も親友で今は兄の嫁(義姉)の花江(森田望智。もりた・みさと)もチャンスとばかりに寅子に指導して手製のドレスを作らせるが、互いに不器用すぎて恋愛の入り口にも立てないまま終わってしまった。

5月15日(水)

今日も曇りですっきりしない天気。


京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観る。
1969年に結婚し、1980年にジョンが射殺されるまでパートナーであったジョン・レノンとオノ・ヨーコだが、1973年の秋からの18ヶ月間、別居していた時代があった。不仲が原因とされ、ジョンはニューヨークにオノ・ヨーコを置いてロサンゼルスに移っている。この間、ジョンのパートナーとなったのが、ジョンとヨーコの個人秘書だったメイ・パンであった。
中国からの移民である両親の下、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区に生まれ育ったメイ・パンは、カトリック系の学校に学び、卒業後は大学への進学を嫌ってコミュニティ・カレッジに通いながら、大ファンだったビートルズのアップル・レコード系の会社に事務員として潜り込む。面接では、「タイピングは出来るか」「書類整理は出来るか」「電話対応は出来るか」に全て「はい」と答えたものの実は真っ赤な嘘で、いずれの経験もなく、まさに潜り込んだのである。プロダクション・アシスタントとして映画の制作にも携わったメイ。ジョン・レノンの名曲「イマジン」のMVの衣装担当もしている。また「Happy Xmas(War is Over)」にコーラスの一人として参加。ジャケットに写真が写っている。

ジョンの最初の妻、シンシアとの間に生まれたジュリアン・レノン。ヨーコは、ジュリアンからの電話をジョンになかなか繋ごうとしなかったが、メイはジョンとジュリアン、シンシアとの対面に協力している。ジョンが「失われた週末」と呼んだ18ヶ月の間に、ジョンはエルトン・ジョンと親しくなって一緒に音楽を制作し、不仲となっていたポール・マッカートニーと妻のリンダとも再会してセッションを行い、ジョン・レノンとしてはアメリカで初めてヒットチャート1位となった「真夜中を突っ走れ」などを制作するなど、音楽的に充実した日々を送る。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどとも知り合ったジョンであるが、メイは後にデヴィッド・ボウイのプロデューサーであったトニー・ヴィスコンティと結婚して二児を設けている(後に離婚)。

テレビ番組に出演した際にジョンが、「ビートルズの再結成はある?」と聞かれて、「どうかな?」と答える場面があるが、その直後にビートルズは法的に解散することになり、その手続きの様子も映っている。

現在(2022年時点)のメイ・パンも出演しており、若い頃のメイ・パンへのインタビュー映像も登場するなど、全体的にメイ・パンによるジョン・レノン像が語られており、中立性を保てているかというと疑問ではある。メイにジョンと付き合うことを勧めたのはオノ・ヨーコだそうで、性的に不安定であったジョンに、「あなたが付き合いなさい」とヨーコが勧めたそうである。ジョンの音楽活動自体は「失われた週末」の時期も活発であり、ヨーコの見込みは当たったことになるが、ジョンも結局はメイではなくヨーコを選んで戻っていくことになる。
ジョンがヨーコの下に戻ってからも付き合いを続けていたメイであるが、1980年12月8日、ジョンは住んでいた高級マンション、ダコタハウスの前で射殺され、2人の関係は完全に終わることになる。

メイ・パンは、ジュリアン・レノンとは親しくし続けており、映画終盤でもインタビューを受けるジュリアンに抱きつき、歩道を肩を組みながら歩いている。
ちなみにメイ・パンが2008年に上梓した『ジョン・レノン 失われた週末』が今年、復刊されており、より注目を浴びそうである。



東京ヤクルトスワローズは、今日も松山の坊ちゃんスタジアムでカープと対戦。クリーンナップは村上を4番に戻し、3番にオスナ、5番にサンタナとこれまでと同じ打順を組む。
今日は6番に大ベテランの青木宣親を6番ライトでスタメン起用。ヒットメーカーだった青木も衰えは隠せず、今年は打率1割台だが、精神的支柱としてスタメンに抜擢されたのだと思われる。

スワローズの先発は、ドラフト2位ルーキーの松本健吾。背番号は28である。東京都出身で、東海大菅生高校から、野球部の練習や指導、上下関係が厳しいことで知られる亜細亜大学に進学。エースとして活躍するが、ドラフトでは指名漏れ。東京を離れてトヨタ自動車の野球部に進み、都市対抗野球などでアピールしてスワローズに入団した。大卒社会人経由ということで、ルーキーとはいえすでに25歳である。

カープの先発はエース級の森下暢仁(まさと)。

今日も投手戦となる。エースクラスの森下から点がなかなか奪えないのは当然だが、ヤクルトのルーキー・松本健吾もストレートはスピードガン表示こそ、そこそこだが、伸びと勢いがあってバッターが空振りしたりファールにしかならない場面が目立つ。変化球にもキレがあり、カーブ、スライダー、そしておそらく何種類か違う落ち方のあるフォーク(亜大ツーシームもおそらく投げられる)を操り、何よりもコントロールが良い。常にセットポジションから投げるが、腹の前で据えた両手をいったん頭の高さまで上げ、それから左足を上げると同時にグラブを胸の前まで下げて投げるという独特のフォームである。

スワローズは2回裏、サンタナがライト線へのツーベースヒットを放ち、青木がショートの左を抜ける流し打ちのヒットで無死三塁一塁とする。中村悠平はライトフライを放つが、浅くてタッチアップは出来ず。続くは今日も8番セカンドでスタメン出場の武岡龍世。引っ張った当たりは、ファーストの左を抜けるヒットで、三塁ランナーホームイン。スワローズが先制点を奪う。

その後追加点が奪えなかったスワローズだが、8回裏ツーアウトの場面で、村上宗隆がカープ3番手・矢崎拓也から右中間へのアーチを放つ。村上はこれが清原和博の記録を抜くNPB最年少200号本塁打となった。

松本健吾は終盤になっても球威が落ちず、9回表も3人で抑え、プロ初登板初先発初完封勝利を達成。福岡ソフトバンクホークスの大場翔太以来16年ぶりの記録となり、更に無四球で二桁(10)奪三振も入れると史上初の快挙となった。

指名漏れにより社会人を経てのプロ入りとなったが、松本はヒーローインタビューで、「回り道だとは思っていない」と述べた。

5月16日(木)

朝方、一雨来る。その後は曇りで、午後になると日も差す。

「浪花のモーツァルト」の愛称で親しまれたキダ・タローが14日に死去。93歳。
中等部から「お坊ちゃん御用達」の関西学院に通っている。本格的な音楽教育を受けたことはなく、作曲や編曲は独学である。テレビのテーマ音楽、CM曲などを数多く手掛けたが、本人はモーツァルトを意識したことはなく、それどころか全国区を狙った形跡もなく、東京にも出ず、関西ローカルのテレビ番組にも多く出演して、「大阪の音楽おじさん」としての立場を終生守り続けた。ユーモラスな作風との印象があるが、市町村の歌や社歌、校歌などお堅い曲も書いている。


職場の近くで火災があり、ガス爆発があるかも知れないというので、一時避難した。


東本願寺へ。残念ながら今日は御影堂、阿弥陀堂ともに荘厳で、親鸞聖人とも阿弥陀如来とも会うことは出来なかった。
東本願寺の前の烏丸通は、二つに分かれていたのだが、直進していた方が歩道となり、芝生広場も合わせて、お東さん広場(東本願寺前市民緑地)となっている。ベンチがいくつか用意されており、少しの間、読書する。
しんらん交流館にもより、蓮如上人御影道中の展示と映像を見た。



京都駅八条口の南西、イオンモールKYOTO5階にある映画館、T・ジョイ京都で、「ゲキ×シネ 劇団☆新感線『メタルマクベス』」を観る。劇団☆新感線が2006年に上演した演劇作品を収録した映像の映画館上映。映像自体はイーオシバイドットコムからDVDで出ているものと同一内容だと思われる。
原作:ウィリアム・シェイクスピア(ちくま文庫から出ている松岡和子訳がベース)、脚色:宮藤官九郎。演出:いのうえひでのり。出演:内野聖陽(うちの・せいよう。上演当時は本名の、うちの・まさあき読みだった)、松たか子、北村有起哉、森山未來、橋本じゅん、高田聖子、栗根まこと、上条恒彦ほか。休憩時間15分を含めて上映時間4時間近い大作となっている。今はなき東京・青山劇場での収録。

宮藤官九郎が脚本ではなく脚色担当となっていることからも分かるとおり、大筋ではシェイクスピアの「マクベス」とずれてはいない。しかし、1980年代にデビューしたヘビメタバンド・メタルマクベスと、2206年の未来の世界がない交ぜになったストーリー展開となっており、生バンドによるメタルの演奏、出演者の歌唱などのある音楽劇であり、新感線ならではの殺陣などを盛り込んで総合エンターテインメント大作として仕上げている。「メタルマクベス」はその後も俳優や台本を変えて何度も上演されているが、今回上映される2006年のものが初演である。

ヘヴィメタルバンド・メタルマクベスは、一人を除く全員が「マクベス」の登場人物名を芸名に入れている。マクベス内野、マクダフ北村といった風にだ。メタルマクベスが発表したアルバムに含まれる楽曲の歌詞には、2206年に起こる出来事の予言めいた内容が多く含まれていた。
その2206年の未来では、「マクベス」さながらの物語が展開されている。ランダムスター(愛称はランディー。内野聖陽)は3人の魔女からマホガニーの新たな領主となること、また将来、ESP国の王となることを告げられる。ランディーの親友であるエクスプローラ(橋本じゅん)は、自らは王にはならないが、息子が王位に就くという。ランディーは妻のローズ(松たか子)の強い後押しもあり、ESP国の王(上条恒彦)の殺害を計画。殺害自体は成功するが、置いてくるはずだった短剣を持って帰ってきてしまう。ローズは短剣を殺害現場である寝室に戻しに行き、眠り込んでいた見張り役二人の顔と手に血を塗りたくって下手人に見せかけるが、自らの手も血で真っ赤に染まり、それがその後にトラウマとなって現れる。

まだ二十代だった松たか子。1990年代にすでに歌手デビューしていて、そこそこの売り上げを記録しており、コンサートツアーなども行っていた。ディズニー映画『アナと雪の女王』の挿入歌「Let It Go ~ありのままで~」日本語版の歌手に抜擢され、高い歌唱力で注目を浴びているが、この時点ですでに歌唱力は出来上がっており、メタル伴奏の激しいナンバーも歌いこなしている。また発狂したマクベス夫人の演技も巧みである(彼女は18歳の時に真田広之主演、蜷川幸雄演出の「ハムレット」でオフィーリアを演じており、狂乱の場で迫真の演技を見せている)。

内野聖陽は余り歌うイメージはないかも知れないが、ブレヒトの「三文オペラ」のベースとなったジョン・ゲイの「乞食オペラ」に主演するなど、歌ものの芝居にも出ており、歌唱力はなかなか高いものがある。内野は芝居でピアノを弾いたこともあり、何でも出来る器用な俳優である。舞台俳優としては間違いなく日本人トップを争う実力者である。

俳優であると同時にダンサーとしても活躍している森山未來。「メタルマクベス」でも華麗なダンスを披露する場面があり、また歌唱も披露。ずば抜けてというほどではないがまずまずの上手さである。

盛りだくさんの内容であるが、セリフを歌にしたり、クドカン独特のギャグが続いたり、殺陣の場面を多くしたりしたため、全体として長めとなり、間延びしているように見える場面があるのが惜しいところである。